世界経済はなぜ「成長する」前提でいいのか|積立投資、納得できなかった私の話

世界経済は成長する。その前提に、ずっと納得できなかった話
1.2倍速で聴いていた投資の記録に、洗い物の手を止められた日のこと。
洗い物をしながら、オーディオブックを1.2倍速で聴いていた。
25年間、淡々と同じ商品を積み立て続けた人の記録。すごいと思う。アクティブ運用をしている私より、たぶん普通にこの人の方が勝っている。それは認める。
でも、残り2時間48分のところで、手が止まった。
「基準価格は、いつか上がる」
この本に限らず、インデックス投資の話は全部これを前提にしている。まるで当たり前みたいに。
当たり前じゃなくない?
人類がこのままずっと便利になっていくのか、それともどこかで詰むのか。私には五分五分に見える。なのに、なぜ「上がる方」だけを前提に、みんな平気な顔をして積立設定をポチっているんだろう。
「人は豊かになりたい生き物だから」
そう説明されると、余計にモヤモヤした。豊かになりたい人と同じくらい、世界を壊す人だっている。願望だけで経済が伸びるなら、人類はもっと早い段階から伸び続けていたはずだ。
だから、素直に調べることにした。
「豊かになりたいから」では、足りなかった
「人はもっと便利に、もっと豊かになりたいと願う生き物だから、経済は成長する」
たしかに、間違ってはいない。でも、これだけでは説明として弱い。
人が豊かになりたいと願う気持ちは、たぶん有史以来ずっと変わっていない。古代の人だって、もっと楽に暮らしたかったはずだ。それでも、経済はずっと成長し続けてきたわけではなかった。
つまり「欲しがる気持ち」だけでは、経済成長の理由にならない。もう一つ、何か条件が必要だったということになる。
0.01%という数字
調べて最初に面食らったのは、そもそも「経済成長」自体が、人類史においてはかなり異常な状態らしい、という事実だった。
イングランド銀行の試算では、紀元前1000年ごろから1750年ごろまでのおよそ3000年間、世界の一人当たりGDPはこの水準でしか伸びていない。
誤差みたいな数字だ。ほぼ横ばい。それが3000年、ずっと。
古代ローマの人も、平安時代の貴族も、江戸時代前半の町人も、生活水準としては大差なかったということになる。
「経済は放っておけば伸びるもの」ではなかった。伸びない方が、人類にとってはむしろ通常運転だった。
石炭とアイデアの、決定的な違い
では、なぜここ250年だけ急に伸びたのか。
有力な説明の一つが、2018年にノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマーの理論だ。
石炭や土地は、誰かが使えば減る。私が食べたご飯は、もう誰にも食べられない。
でも「知識」はそうならない。
誰かが思いついたアイデアは、他の人が使っても減らない。むしろ、別のアイデアとぶつかって、また新しいアイデアを生む。人類の手元に、増える一方の資源がはじめて生まれたということだ。
しかもこの資源、独り占めできない。特許があっても、いずれ広がっていく。大学も、論文も、結局は「知識を漏らし続けるための装置」みたいなものだ。
土地や石炭を奪い合っていた時代は、誰かが豊かになれば誰かが貧しくなる。ゼロサムに近い。
でも知識で殴り合う時代は、違う。誰かの発見が、別の誰かの発見の材料になる。奪い合いじゃなくて、掛け算になる。
産業革命以降の「成長」の正体は、たぶんこの掛け算のことだ。
掛け算装置は、壊れることもある
都合のいい話に聞こえるかもしれない。
でも、この掛け算装置が絶対に止まらないという保証はどこにもない。
1972年、ローマクラブは『成長の限界』という報告書で、資源の枯渇によっていずれ成長が止まると警告した。この予測が当たっていたのかどうか、実は今も専門家の間で決着がついていない。
2013年には、ハーバード大学のローレンス・サマーズが「先進国の成長はもう鈍り続けるかもしれない」と言い出した。人口が伸びず、投資先も減っているから、というのがその理由だ。
面白いのは、当のサマーズ本人が、その後「経済理論というのは物理法則と違って、時期によって当てはまったり当てはまらなかったりする」と話していることだ。
専門家ですら、確信を持てていない。掛け算装置がこの先も動き続けるのか、いつか止まるのか。誰にも保証できない、というのが本当のところらしい。
日本という、身近すぎる証拠
それを一番近くで証明しているのが、日本だ。
バブル崩壊から30年以上、日本経済はほとんど成長できていない。国際競争力のランキングも、ずるずる下がり続けている。
一方で同じ30年、アメリカも韓国も、多くの新興国も、しっかり伸びている。
「経済成長」は、世界のどこかに均等に降り注ぐ雨みたいなものじゃない。ある場所にだけ強く降って、ある場所には全然降らない。日本は、たまたま降らなかった場所に立っているだけかもしれない。
世界に賭けるということ
ここまで来ると、世界株のインデックスに積み立てる意味が、少しだけ違って見えてくる。
「世界中が同時に豊かになる」に賭けているんじゃない。
「掛け算装置が、世界のどこかしらで動き続けている」に賭けているだけだ。日本に雨が降らなくても、どこかの国、どこかの企業に降ってくれればいい。それだけの話。
ちなみにIMFが2026年7月に出した最新の予測では、世界経済の成長率は3.0%。去年までよりやや控えめな数字だ。中東の情勢が重しになっている一方、AI関連の投資が押し上げ要因になっている。IMFは律儀に、「AIへの期待が外れた場合」の下振れシナリオまで用意している。
世界でいちばん経済を見ているはずの人たちですら、「絶対」とは言わない。上がるかもしれないし、思ったより伸びないかもしれない。両方あり得るものとして、淡々と扱っている。
結局、最初の違和感は消えていない。
「世界経済がこの先も成長し続けるかどうか」は、誰にもわからないままだ。私にも、専門家にも、たぶんIMFにも。
ただ、わかったことが一つだけある。
積立投資は「絶対に成長する」に賭けているわけじゃなかった。「掛け算装置が動き続けたら、ちゃんと恩恵を受け取れる位置にいたい」という、わりと控えめな賭け方だった。
装置が本当に壊れる日が来たら、たぶん現金も金も、大差なくなる。
だから今夜も、オーディオブックの続きを聴きながら、たぶんいつも通り積立の設定画面は変えないと思う。
腹落ちしたわけじゃない。
ただ、自分が何に賭けているのかだけは、前よりはっきりした。












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