『あんなに あんなに』感想|何気ない日常が、こんなにも愛おしかったなんて。

「あんなに」が積み重なって、
人生になっていく。
ヨシタケシンスケ『あんなに あんなに』
「また泣かされた。」
絵本なのに。
ヨシタケシンスケさんの絵本は、読むたびに不意打ちをくらいます。 しかも笑えるんじゃなくて、心のやわらかい部分をそっとつつかれるような——あの感覚。
今回の『あんなに あんなに』は、特にそれが強くて。 読んだ後、しばらくページを閉じられませんでした。
「あんなに」は、愛の記録だった。
この絵本は、シンプルです。
難しい言葉は一つも出てこない。 でも——読み終えたとき、ため息がでるくらい、胸に残る。
「あんなに」という言葉には、時間が入っています。
過去と今を一気に繋ぐ、小さくて力強い言葉。 誰でも使ったことがあるはずなのに、こんなに深かったのか、と気づかされます。
しかも、この「あんなに」は、
笑えるものもある。
切ないものもある。
泣けるものもある。
その全部が、日常のどこかに散らばっている——という事実を、
ヨシタケさんは絵本という形でそっと拾い集めてくれます。
ICUで働く私が、この本に「自分ごと」を見た話。
看護師をしていると、「あんなに」という感覚、日常的に経験します。
あんなに元気だったのに、次の日の朝には高熱——。
医療現場では、これが現実として存在します。 ところが、その逆もあるんです。
あんなにしんどそうだったのに、昨日より顔色がいい。
あんなに心配していたのに、数値が戻ってきた。
命の変化には、良い意味でも悪い意味でも「あんなに」がつく。 そのことを、日々肌で感じながら仕事をしています。
だから、この本が「自分ごと」として読めてしまった。 それは、看護師だからこそかもしれない——そう感じました。
感情の変化を段階的に見せてくれる、ヨシタケさんの技術。
ヨシタケシンスケさんの絵本が特別な理由——私は「感情の解像度の高さ」だと思っています。
読んでいるうちに、感情がじわじわと動いていく。 笑いで始まって、気づいたら目頭が熱くなっている。 その構成が、毎回、本当に巧みです。
この流れが、ページをめくるごとに繰り返される。
実は、この絵本。
子育てしている人だけのものじゃないんです。
「こどもだった私たち」全員に向けて書かれている——と読みながら感じました。
せめて今着ているこのこどもの制服が、サイズアウトするまで。
読者のあるひとがそう感想を書いていて——私も、同じ気持ちになりました。
「悲しい」じゃない。
「寂しい」でもない。
「もうすこし、ここにいたい。」
そんな気持ちになる本って、なかなかないと思います。
日常に埋もれている「小さな幸せ」を、拾い上げてくれる本。
忙しいと、忘れてしまうことがあります。
今日という日が、誰かの「あんなに」になるということを。
ところが、この絵本を読んだあとは、少し変わるんです。
なんでもない夕飯の時間が、ちょっと違って見える。
子どもが駄々をこねている姿が、少しだけ愛おしく感じられる。
そして——「あんなに」と振り返る日の自分への贈り物になる、今この瞬間。
そう気づかせてくれるのが、ヨシタケさんの絵本の力だと思います。
「こっちは休めない仕事なのに」の話。
余談ですが——もう一つ、あんなに体調悪かったのに次の瞬間には元気になって私に風邪を移している人が身近にいまして。
こちらは仕事を抱えながら、体を押して看病しているというのに。
……と笑いながら思い出せるのも、きっと「あんなに」の一つなんでしょう。
そういう、ちょっとした恨みと、圧倒的な愛おしさが混在している感じ。 それがこの本には、ちゃんと入っています。
こんな人に、届けたい一冊。
- 子育て中で、なんとなく毎日が過ぎていく感覚がある人
- 子どもの成長が嬉しいのに、少しだけ寂しいと感じている人
- 自分の「あんなに」を振り返ってみたくなった人
- 最近、日常の小さな幸せを見落としてるかもと思う人
- ヨシタケシンスケの絵本をまだ読んだことがない人
「あんなに」と言える人生は、きっと豊かだ。
振り返れる記憶があるということは、そこに時間があったということです。
笑えたり、泣けたり、イライラしたり——それが全部、「あんなに」として残っていく。
そして。
今この瞬間も、誰かの「あんなに」になっていく途中です。
この本を読んだら、今日が少しだけ、大切に思えるはずです。











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