「物語」に操られているのは、誰でもないあなたかもしれない。

最近、いつ誰かと他愛もない話をしたか、覚えていますか。
コンビニの店員に「ありがとう」と言った記憶すらうっすらとして、気づけば私たちはスマートフォンの画面の中だけで誰かとつながっている。
そんな問いを頭の片隅に置きながら、この小説を読み終えた私は、しばらく本を閉じられなかった。

朝井リョウの新作『イン・ザ・メガチャーチ』は、アイドルグループの運営に携わる男、心労を抱える内向的な大学生、そして応援していた舞台俳優が「報道」によって一変する女という三つの視点を行き来しながら、現代の「ファンダム経済」を解剖していく。
でも正直に言うと、これはアイドルや俳優の話ではない。
私たちが「何かにすがって生きている」という、恥ずかしくて認めたくない事実の話だ。

三つの視点が交差するとき

01
仕掛ける側
アイドル運営の男
家族と離れて暮らしながら、”物語”を設計する側に立つ。
02
のめり込む側
内向的な大学生
繊細な気質ゆえに傷つき、心を癒やす居場所を求める。
03
かつてのめり込んだ側
舞台俳優を応援する女
仲間と築いたコミュニティが、ある日突然揺らいでいく。

「神がいないこの国で人を操るには、”物語”を使うのが一番いいんですよ」

— 作中の台詞より

知らないうちに”買わされている”感情の話

看護師として働いていると、「情報に動かされる人」をよく見る。
患者さんに「テレビでこの薬がいいって言ってたから」と言われることも、ご家族が「SNSでこういう療法があると見た」と真剣な顔で話してくださることも珍しくない。
誰かが語る「物語」は、それがどんなに作られたものであっても、受け取った人の感情を本物にしてしまう。

この小説が怖いのは、「騙される側」だけを描かないことだ。
運営側の男もまた、物語を作ることで何かを感じ、何かに依存している。
仕掛ける側と、のめり込む側の境界線は、思っているよりずっと曖昧だった。
読みながら私は、自分がいつどこで「消費者」になり、いつ「参加者」のふりをしているのか、わからなくなってしまった。

この本が炙り出す「現代の問い」
  • 若者文化に潜む巧みなマーケティングの仕掛け
  • コミュニティへの帰属欲求と、その危うさ
  • 「物語」を信じることの、美しさと暴力性
  • 孤独な現代人が「何か」を必要とする理由
  • 仕掛ける側も、仕掛けられる側も、どこか哀しい

病棟で働いていると、人が「依存」する瞬間に立ち会うことが多い。
薬に、医療者に、家族の言葉に、そしてときどき——テレビの向こうの誰かに。
依存は弱さじゃない、と私は思っている。
それは、一人では生きていけないという人間の正直な叫びだ。
この小説はその叫びを、アイドルやファンダムという現代の「祭壇」に映し出している。

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知りたくなかった、自分の「渇き」の話

正直、この本はちょっと意地が悪い。
最後まで読んで気づくのは、三人の登場人物への感情移入ではなく、「私もどこかで誰かや何かを支えに生きているんだ」という、認めたくなかった自分の姿だ。
そんな感情を抱いているなんて、他人とのつながりや誰かや何かを支えに生きていることなんて、知らないでおきたかったのに。

私は普段、誰かのために動く仕事をしている。
でも夜中に一人でスマートフォンを眺めながら、知らない誰かの日常に安心している自分がいる。
それは孤独なのか、それとも新しいかたちの「共同体」なのか。
この小説は答えを出さない。ただ静かに、棘を刺してくる。
読み終えたあと、布団の中でしばらくスマートフォンを触れなかった。

沈みゆく列島で、”界隈”は沸騰する。
その熱の正体を、あなたは知っているか。

— 本書の世界観より
#ファンダム経済 #現代の孤独 #物語の力 #コミュニティ #依存と愛着 #若者文化 #マーケティングの闇 #朝井リョウ

これは「他人事」じゃない

朝井リョウは本当に、読者の「知りたくなかった自分」を暴くのが上手い作家だと思う。
『正欲』でも、『桐島、部活やめるってよ』でも、いつも「あ、私のことだ」と思わせる場所に刃を潜ませている。
今回もその手口は変わらなかった。

アイドルが好きな人も、そうでない人も、関係ない。
誰かとのつながりを求めながら、その事実を認めたくない全ての大人に読んでほしい一冊だ。
「私は別に依存なんてしていない」——そう思っている人ほど、ぜひ手に取ってみてほしい。
読み終えたあと、きっと誰かに連絡したくなるから。

あなたが「支えにしているもの」は、なんですか。

最後にそう問いかけてくる、静かで鋭い小説でした。