投資依存症 感想 | 相場から離れられない

私は自分を、
患者として診た。
看護師である私が、一番ダメな患者だったかもしれない。
症状には早く気づくくせに、自分のことだけは最後まで認めたくなかった。
スマホを置いたはずなのに、また手に取っている。
「あと5分だけ」と言って気づいたら1時間、画面を見ていた。
含み損を確認してアプリを閉じて、また開いて。
何も変わっていない数字を、もう一度だけ確かめる。
看護師として、これは何という行動パターンだろう、と思った。
患者さんだったら、すぐに「依存傾向あり」と記録するやつだ。
トイレで株価を確認していた
仕事中のことだった。
勤務の合間にトイレに入って、気づいたら株価アプリを開いていた。
べつに何かを操作するわけじゃない。
ただ、数字を見る。確認する。
そしてまた病棟に戻って、患者さんの前に立つ。
なのに自分の異変には、ずっと気づかないふりをしていた。
「チェックするだけだから依存じゃない」
「投資の勉強として必要な情報収集だ」
そういう言い訳は、患者さんがよくするやつだ、と後から思った。
- 含み損を見てもアプリを閉じられない
- 「確認するだけ」が1時間になる
- 家族と話しながら頭の片隅で相場を考えている
- 仕事中、休憩のたびにスマホを開いてしまう
- 寝る前のチャート確認が「儀式」になっている
- 週末、相場が開いていないと落ち着かない
一緒にいるのに、どこかにいなかった
家族と過ごしているとき、これが一番きつかった。
ごはんを食べながら、会話しながら、
頭のどこかに「今の相場はどうなってるだろう」という感覚があった。
ちゃんとそこにいるのに、ちゃんとはいない。
体だけ置いてきている感じ。
看護師として、こういう状態の人を知っている。
「上の空」「注意散漫」「感情の平板化」——
カルテに書くなら、そういう言葉が並ぶかもしれない。
さすがにこれは、「ちょっとまずいな」と思った。
自分の問題を他人の病態で理解するのは、
看護師のよくない癖かもしれないけれど。
『投資依存症』が突きつけてくるもの
この本を手に取ったのは、自分のことを棚に上げて「なんとなく気になったから」だった。
でも読み始めてすぐ、棚から自分が落ちてきた。
NISAの普及、SNSに溢れる爆益報告、「貯蓄から投資へ」という社会の空気——
その熱狂の中で、私たちはリスクの本質をちゃんと理解しているのか?
本書はそこを、かなり強い言葉で問い続けてくる。
過去のバブル崩壊、具体的な数字、「みんなが同じ方向を向く怖さ」。
少し極端だと感じる箇所もある。でもその極端さが、ブレーキになる。
熱狂の中にいるときほど、真逆の声が必要だから。
みんな、少しずつ狂っている(私も含めて)
NISAをやって、投資信託を積み立てて、
チャートを見て、ニュースを追って。
それが「普通」になっている。
周りを見ても、そうしている人ばかりだ。
少しずつ自分を削られていたとしたら?
熱狂することは悪くない。
大人になってから何かに本気になれるのは、むしろ幸せなことだと思っている。
投資そのものを否定したいわけでも、全然ない。
ただ、その熱狂が「どこまでを飲み込んでいるか」は、
一度ちゃんと確かめた方がいい。
病棟でいうなら、バイタルチェックみたいなものだ。
距離の置き方を、少し変えた
この本を読んで、劇的に変わったわけじゃない。
今でも気になる。チャートも見るし、ニュースも追う。
でも以前と少し違うのは、
「あ、今ちょっと飲み込まれているな」と気づけるようになったことだ。
患者さんに自分の状態を伝えるとき、「病識がある」という言い方をする。
自分がどういう状態なのかを、本人が理解している状態のことだ。
病識があるだけで、ずいぶん違う。
抜け出せたわけじゃない。
まだ揺れることもある。
それでもいいと思っている。
続けるなら、覚悟を持って続ける。 やめるなら、今がいい。 どちらでもいい。 ただ、一番怖いのは—— 自分が何をされているか気づかないまま、 無意識に飲み込まれていくことだ。










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